【感想】ガラスの仮面33巻 形を自在に変える忘れられた荒野と、ついにあの事に気付き始めるマヤ
あらすじ
「忘れられた荒野」は、その演出の奇抜さと、マヤの狼少女の演技が話題となり、観客の人気はうなぎのぼりに。そんな中、月影千草は再び発作をおこし、命の危機にさらされる。「紅天女」の運命をかけた受賞式がはじまった。
bookwalker作品紹介より
というお話です。作者は美内すずえさんです。
登場人物
北島マヤ:『忘れられた荒野』で狼少女ジェーンを演じる。美内先生の漫画力の凄さだと思うんだけど、それにしてもなんでも出来るなマヤ。マジで凄い。
桜小路優:『忘れられた荒野』でジェーンを人間に戻そうとする青年スチュワートを演じる。芝居力インフレ系バトル演劇漫画の中ではヤムチャポジションかと思ってしまうが、そこそこ頑張っているとは思う。
黒沼龍三:『忘れられた荒野』で演出家を務める。自身が紅天女の演出家候補なのかもしれないと気付いて本気を出す。
感想
物語は大きく動き出す!そしてついにマヤがあの事に気付き始める
はい!というわけで今回紹介するのは『ガラスの仮面』の33巻です!少し間が開きましたが、PCが触れない環境に監禁されてました(マジ)
でももう帰ってきたので大丈夫です。頑張ります。
いよいよ忘れられた荒野が始まる
ついに舞台が始まりまして、その観客の中には例のあの方がいました。
山から下りてきた承認欲求モンスター
たくさんの人々の好意を全て投げ捨て自ら失踪し、あげくに『探さないでね。もし見つけても絶対場所は言わないでね。言ったらまた失踪するから』と置手紙を残したくせに自分から舞台を見に来る死にかけの病人。
この人の自由過ぎる振る舞いのために何人の大人が泣かされたのかわかりませんが、とにかく月影先生も舞台を見に来ました。
確かに、当時の時代背景としては舞台を見る手段があまり無かったのかもしれません。録画などでは生の舞台の空気感は感じられないだろうし、なんとしても現地入りしたいという気持ちは理解出来ます。
しかし。しかしですよ。そこはTPOを考慮してほしいわけです。もしこの遠出が原因で月影先生が死ぬ事にでもなったら、マヤ達は一体今なんのために頑張っているのかわからなくなります。
『なぜここに』この言葉の中には様々な感情が詰まっているかと思いますが、でもこの世界はガラスの仮面の世界。特に非難が混じるでもなくただ純粋に『先生があたしの演技を見ている』と思うマヤ。純粋すぎんか?
この画像ではあまりよく見えませんが腰回りにはでっかいアクセサリーも付けての気合入った服装です。舐めやがって完全に人生エンジョイしてんじゃないかどんな神経してんだ。
まぁそんな俺個人の感想はともかく。舞台は進んでいきます。
さて。ここから『忘れられた荒野』の舞台が始まっていくわけですが、この作品は美内すずえ先生のオリジナルのようです。
そして、過去にはこの劇を実際に舞台化した劇団の方もいるようです。凄く前の話なのかと思ったら一番近いのは2022年でした。その中身が見てみたいですがどうやらその手段は無さそうです。残念。
というわけで、原作付きの物語ではないですからぼーっと読んでいると実はあんまり筋を理解してなくてなんとなく読んだだけ。となりがちですのでなるべくその辺も追って紹介していきましょう。
まず、舞台は冒頭。スチュワートが『ビクトール男爵』という動物学の権威であるという男性にジェーンの事を説明する場面から始まります。
そのやりとりの後ろで、回想という形でジェーンが演技をしていく。という風に見えます。
まずはジェーンが見世物小屋の男にひどい目に合わされているところから始まります。その後、ジェーンは姉狼の死に悲しむ。という場面が描かれています。
そう。ジェーンには姉がいます。これは、狼を姉と言っているのではなく『四つ足で歩く2人の少女が発見された』とスチュワートが報告するシーンが何度も出てきますので、姉は人間です。
つまりはこういう事です。
30巻での舞台の通し稽古の時により詳細なジェーンの生い立ちの背景も語られています。
これをまとめると
- ジェーンと姉は子供の頃に狼にさらわれて行方不明になっていた
- 姉はエルドニア。妹(ジェーン)はジェニーナという名前
- 両親はすでに亡くなっており引き取り手はない
- 見世物小屋の男に連れられてさまざまな土地を渡り歩いた
- 最終的に北イタリアの親切な牧師にひきとられた
というところです。
そして、その牧師の元にやってきたスチュワート。どうやらスキュワートが牧師の所にやってきた時にはすでに姉の方は死んでしまっていたようです。
この辺りでの『姉が死ぬシーン』というのがこの物語においての非常に重要なシーンで、この当時のジェーンはまだ人間に戻っておらず内面的には狼のままです。
つまり、ジェーンは『人間として』ではなく『狼として』姉の死を悲しむ必要があるわけです。
当然マヤは人間ですから、狼として姉の死を悲しめと言われても難しいところ。そのあたりの『野生の狼としての感情』を掴むためにここまでマヤは山にこもったり随分無茶をしてきました。
そして辿り着いた野生の狼の表情がこちら。
亜弓が『無表情の表情』と絶賛する素晴らしい迫真の演技。当然北島マヤという少女が実在するわけではなくこれらは全て美内先生が考えそして描いた絵なわけですが、素晴らしい漫画力です。
その後牧師の元からスチュワートがジェーンを引き取り、イタリアにあるスチュワートの家に連れ帰ってきました。
そこからは、スチュワートがジェーンを人間に戻すための活動が描写されていきます。
『狼として育ってきたジェーンを人間に戻す』という活動。
どうですか。この33巻は1987年に発売されたようで、これを書いている今は2024年ですのでもう37年も前の作品という事になります。実際の物語の舞台となるのはもっと昔の1930年代前後だと推定されます。
なので現代とは価値観が違って当然。それを前提としたうえでですが『狼少女を人間に戻す』というのは、少し傲慢ではないか?と俺は感じます。
ジェーンがそれを自ら望んだわけでもなく、スチュワートも最初からどうしてもジェーンを人間に戻したいという信念があって始めた活動であったようには思えません。どちらかというと『ジェーンを人間に戻すという活動をしている自分を維持するために』活動を続けている。そういう風に感じてしまうのです。
個人的には少し受け入れがたい価値観です。
ではじゃあジェーンは本当は狼でもないのにそのまま野生で死ねば良かったのか?と言われるとそれもまた難しい話ではあるんですが。
ちなみに、この物語には一応モデルも存在するようです。
そのモデルの話の真偽はさておき。
スチュワートによる『ジェーンを人間に戻すための活動』は続けられていきます。
荒野に戻りたいと暴れるジェーンを時に穏やかに時に激しく教育していくスチュワート(マイルドな表現)
目を離すと四つ足で歩き始める。テーブルの上にあるお皿でご飯を食べようとしない。暴れるジェーンを叱り、ジェーンと自分の名前が言えるようになるまで椅子に縛り付けご飯をあげようとしない。
愛ある教育ですね(白目)
そうした生活を3年続け、生まれたのがこちら。
感情の死んだ目をした『ぼくがかんがえたさいきょうのおにんぎょう』が出来上がりました。
この後『だがまだ心が完全じゃないんだ。心が人間になってないんだ』とつぶやくスチュワートのシーンが描写されます。
つまりこの絵は意図して『感情の入っていないお人形』として描かれた。という事になるわけですが、正直な感想として
スチュワート気持ちわる!!!!!
と思ってしまうのです。
その後、スチュワートは雨の中を酔っぱらって朝までフラフラ歩いたせいで肺炎になり危篤状態に。
倒れ、危篤状態になったスチュワートを見て取り乱すジェーン。
スチュワートが死ぬかもしれない。それを感じたジェーンは取り乱します。
物語の序盤。『狼として』姉の死を無表情で悲しんだジェーン。
そして終盤。今度はスチュワートの死を目の前にして『人間として』その悲しみを表現するマヤ。
徐々にジェーンは人間になろうとしているんだ。
狼として無表情無感情での悲しみを表現し、それと同じ人物が、同じ舞台で今度は人間として感情のある悲しみを表現する。
『漫画だから』と言ってしまえば当然それまでですが、とても凄まじい演技力です。もしこの舞台を実際に見られるのであれば見てみたい。
そのマヤの演技を見て動揺する亜弓。
俺はマヤと亜弓のどちらが好きか?と言われれば亜弓の方が好きです。
マヤは天性の天才。当然努力もしていますが、それを超えてなお余りある『何か』で常に最強です。
一方の亜弓は『努力の天才』であると個人的には思います。当然亜弓も『姫川亜弓』という持って生まれたかなり強いカードがあるのですが、それにあぐらをかく事なく努力を続けてきた天才です。
しかし。その亜弓をもってしても『努力さえすれば手に入れられない物は何も無いと思っていた』と言わせるマヤの才能。
それに嫉妬する亜弓。そして、それに腐る事なくいつかそれを超えると心の底から思ってさらなる努力をしているのです。素晴らしい高潔な精神。『なんとなく強い』マヤよりよほど憧れる人生観の持ち主です。
2ページに渡って描かれる亜弓の心の葛藤。いきなり字がびっしりになるので相当動揺しているのですが、ここはかなりの名シーンだと思います。
『そこにいるのがあなたではなく私であったなら』
時々話題に出しますが、俺が大好きなアクタージュという漫画でも同様のシーンがあります。それを意図して描いたかどうかは不明ですが。
今のところもう連載が再開される予定はありませんが、面白い漫画なのでもし興味がある方がいたらぜひ読んでみていただきたい。ただし、とある事情で現在未完であるのでその覚悟がある方に読んでもらいたい。
本当にこんなとこまでオマージュしなくていいのに……。
それはともかく。
その後、どうやらスチュワートは助かったようでなんやかんやあって(詳細は不明)スチュワートのマフラーの匂いを嗅いで『これはスチュワートの匂いだ!』とジェーンが理解し、ついにスチュワートを認識した!というところでこの舞台は終わり。という感じです。
さて。ここまでで『忘れられた荒野』が果たしてどういう物語か?という事を非常にザックリ説明しますと
- 狼少女としてまったくコミュニケーションを取れない少女をスチュワートが教育する
- その教育は壮絶でありかなり苦労する
- 最後はその教育を理解する
という内容なわけです。
そうです。どう考えてもこれはヘレンケ……。
巨匠黒沼龍三にパクり疑惑浮上です。現代社会ならこれかなり炎上案件だと思いますよ。Twitterでボロクソ叩かれ謝罪に追い込まれる黒沼の未来が見えるわ。
しかし、サリバン先生のヘレンに対する気持ちは尊い素晴らしいものだと思うのに、スチュワートがジェーンにした事は少し傲慢で受け入れがたいと感じてしまう、その差はなんなんでしょうか。
自分の事なのに上手く言語化出来ないこの気持ち。性別の違いかなとも思いましたがスチュワートがジェーンにそういう意味で興味を持っているという描写は無いし、俺もそうはまったく思わないので違います。
なんとなくなんですが、サリバン先生はあくまでヘレンを自分と対等な存在として教育していたのに対してスチュワートの姿勢はどこか哀れみというか、上から目線を感じるんですよね。難しい感性。
舞台が終わり
無事に舞台が終わりまして、ふと客席を見ると月影先生がいない。
舞台が終わった余韻もそこそこに月影先生を探すために慌てて外に出るマヤ。こんなに教え子に気を使わせてあの人はホント大人としてダメだと思う。
月影先生を追う道中でバッタリ亜弓と遭遇するマヤ。どうやら亜弓も先生を追っていたようですが見失った模様。
亜弓もマヤも稽古で体を鍛えまくっていて、そこらの女子よりはよっぽど体力もあると思うし月影先生もあの風貌だしで、見失うってどんだけ先生機敏な動きやねん。忍者か。
それはともかく。
いったいなにをしにもどってこられたのかしら?は流石にちょっとヒドイ気がする。
何をってマヤの舞台を見に来たに決まってるじゃないですか。ちょっとその解釈はさすがに可哀想。
そして、マヤに今日の舞台の感想を告げる亜弓。
こんなにもセリフと表情が一致しないコマは初めて見ました。
おそらく、あの客席にいた人達の中で一番心の底から『今日の舞台は良かった』と思っており、また同時に心の底から悔しいと思っているでしょう。食いしばり過ぎて奥歯無くなる勢いなんじゃないか。
それだけ告げると、サっと帰ってしまわれる亜弓様。今日は忙しかったのかな。
そして、そんな2人を遠くから見守る人物が1人。
隙をみてマヤを暗殺しようとしている者の目
2人はあんたを探して必死に走り回ってんだよ!!何考えてんだあんた!!!
源三も言いなりなのでしょうか。ホントどうしようもねぇなこの人だけは。
そしてその後は、この舞台を見たマヤ、亜弓以外の女性の心情など描かれたりします。具体的には紫織お嬢様と舞ちゃん。ほのかな恋心を圧倒的な芝居力でぶん殴ってわからせた形となりました。
偉い人が来た
舞台が終わって月影先生を探すために速攻で出てしまったマヤと、そんなマヤに会いたいためにずっとマヤの帰りを劇場で待っていた関係各社の偉い人達がようやく劇場で会えました。
その偉い人の中には芸術祭の主催である企業の社長までいました。そんな人がマヤ待ち。マヤ凄い。
この社長が経営する食品会社の従業員、それを作る工場の人達がどれだけ必死で頑張ってもこの社長と対等な立場で会話する事など一生無いであろう事を考えると、なんかちょっと複雑な気持になりますが、とにかくこれでマヤと演劇界の偉い人達との間に関係が生まれたのです。
今後のマヤの目標からすればこれはとても喜ばしい事です。
そして、忘れられた荒野を芸術祭に参加させるべきかどうか再検討してみるという約束をゲットする事が出来ました。
そこで黒沼が一言。
本物の芝居ってやつを見せてやりますよ
5日後にもう一度自分達の舞台を見に来てほしい。そう理事長に告げる黒沼。まるでどこかの美味しいご飯を作る人達のような煽りですが、とにかくもう1度来てほしいという事です。
今と5日後とで何が変わるというのか?気になりますね。
そして翌日。
なんと、ついに忘れられた荒野が芸術祭に参加する事が認められました!
再検討してみるという言葉からその翌日にはGOですから、この社長はなかなか仕事が出来る男です。もしくはゴリゴリのワンマンか。
これにより、マヤの紅天女への道がかなり具体的に開かれた事になります。
ここで。では、そもそもこの道が開いたのは果たして誰のおかげか?という話になります。
黒沼が『こうなったのは速水氏のおかげだから感謝しろよ』とマヤに言います。
あの日。イサドラの初日の日にあのパフォーマンスをしなければ今の現状は無かった。あの日のロビーには演劇界の偉い人がたくさんいたんだ。という事を説明。
これを聞いてそんなのは偶然だと食い下がるマヤでしたが、黒沼はそう考えてはいないようで。
それを聞いてマヤも、どうしてあの人があたしにそんな事を……?と速水の真意を考え始めます。
これまではただ芝居の事だけを考えて生きてきた。深い難しい大人の世界や、その内側に流れる気持ちについて触れてこなかった。
ある意味仕方の無い事ではあります。普通の女子が普通に送るはずであった学園生活も。そんな恋を知る生活も。一応は学園に通っていた身であるので本当に無縁だったかはわかりませんが、およそ一般的な女子のそれとは違う人生を送ってきたのです。
マヤには芝居しか無かったのです。それはマヤを振り回してきた大人にも責任があるとは思うのですが、とにかく。
これまで何も知らない考えない少女であったマヤが、少しずつではありますが大人になっていくのです。
もう1つの忘れられた荒野
その後、速水の義父に演技を褒められたりしながらついに黒沼のいう5日後に向けての特訓が始まります。
果たして『もう1つの忘れられた荒野』とはどういう物なんでしょうか?
一方速水は。
紫織お嬢様と仲良くお食事などしておりました。
自分からマヤの舞台の話を振り、さらにはその演技を褒めたわけですがそれに同意した速水に対して『女優として』興味がおありになるのね?とジャブを放ってくるお嬢様。いいですね。細かい。
そこで紫織は速水から、速水の一族にとって紅天女というのはどういう物なのかの片鱗を聞かされます。速水の義父は紅天女を上演するために速水芸能を興したのだと。
そして、そんな楽しい会食の席に一本の電話が入り、そこから事態は急変する事となります。
どうやら、月影先生が東京に来た目的はマヤの舞台を見に来たのもそうですが、実は紅天女を上演する為のスポンサーに会うためだったのです。
なるほど。ならあのクソデカアクセサリーもオシャレだったと納得出来なくもないですね。
そして、突然のそんな話に納得の出来ない速水はなんとしてでもその話を潰すように指示。
それにしてもこの世界の紅天女の立ち位置がいまいちよくわかりません。演劇界においてはその存在を知らない者などいないと言われているような伝説の作品に見えますが、その割には資金繰りに難点があるようにも見える。
これがもし現代であれば、めちゃくちゃお金のある大企業の手によって美形で話題の人達で固められたしょっぱいミュージカルにでも改変される未来が見えますが、どうもそういう感じでもないらしいのです。
上映権を持つ月影先生がひたすら一途に原作を守っている。と言えますが、その割にはスポンサーを自ら探していたりと、基本的には出来るものなら演りたいという感じでもある。
それとも、もしかして『演劇はお金にならない』と投資家たちに敬遠されているのでしょうか?もしくは、紅天女に手を出そうとするとどこからか速水一族の刺客がやってきてその話を潰していくので、とにかくあれは関わるとヤバイ。という噂が業界では流れているのかもしれませんね。
ではここで1つ気になるのが『どうして月影先生はここまで速水一族を拒絶するのか?』という事です。別に自分達が出資したいと言っているのだからお金を出させればいいわけです。原作を改変しようなどという無粋な事をするようにも思えません。
ではなぜ?それは、これから明らかとなっていくのですがそれはまだ先のお話。
この話を聞いてブチ切れ発狂パラダイスな速水を見て、茫然とする紫織。そこまでして、なぜ?紅天女とは一体なんなのですか……?
と。
さて。その一方で、いよいよ5日後。もう1つの忘れられた荒野の上演の日がやってきました。
筋を変える事なく演出を変える事で別の舞台を作ってみせる。そんな黒沼の新しい試みのまず第一弾は、舞台を劇場の中央に配置し、その周りを客席が囲むようなスタイルでの上演となりました。
なるほどこれは面白そうです。臨場感もたっぷりで、観客側もまるで自分達も舞台の一部であるかのような感じになりますね。
この斬新な試みは大ヒット。しかしこれだけでは収まりません。さらにこの5日後、また違った舞台をやるそうなのです。
こうして、時にコメディー時に悲劇にと、様々な形に変化していく忘れられた荒野。
これが大ウケ。劇場は連日満員の大ヒットとなりました!そして、見逃した舞台をもう一度見たいというお客さんも殺到。劇場を貸してくれていたオーナーもこの舞台の大ヒットに大喜びで、追加公演も決定しロングラン上演となり、まさに順風満帆となったのです!やったぜ!!
しかしその一方で。上手くいかない人もいました。
なぜか突然紅天女のスポンサー候補だった人が降りたそうです。なぜなんでしょうか?(棒)
まぁ当然速水の陰謀がこの裏にはありまして、その事にも薄々気付き始める月影先生。なぜなら、速水の義父もまたそうして過去に月影先生の公演を妨害していた事があるからです。
この事に悩む月影先生。
そして……。ついに……。
果たして月影先生の命は!?
それから
ここまでで33巻の半分くらいです。濃いねん内容が。ここまで書くだけでもものっすごい時間かかるねん。いい漫画ですけどね。
さて。
倒れてしまった月影先生の事を心配して、各所から様々な人達がお見舞いにきました。どうやら今回の手術は30%の成功率である様子。
なるほどあの人なら余裕で乗り越えられそうだなという確率ですね。月影先生を死なせるには0が1個多いわ。
しかし実際に世話になった人の死が目前にある作中の人達にとってはそうも言ってられません。
一時は本当にもうダメだったんですが、そこを奇跡の力で、みんなの思いでなんとか踏みとどまり、見事復活を果たした月影先生。知ってた。
今回こそはもうダメかもしれなかった。それに、みんなにもずいぶん世話になった。今度こそ、今度こそはおとなしく養生する生活を……。
もうこの人はダメだ。
そしてついに訪れた芸術祭の受賞発表会。果たして結果はどうなるのか!?
その結果について、マヤの元へ届けられた紫のひとからの1通の手紙。
いつも通り素敵な優しい言葉とバラの花を添えて送られた、その手紙。
しかし。今回は少し違ったのです。
その手紙になんてことなく書かれた『スチュワートの青いスカーフ』という言葉。
実はその青いスカーフはちょっとした事故により台風直撃であったあの初日の舞台でしか使われていないのです。
そして、その初日に来ていた唯一の人物が速水でした。
つまり。『スチュワートのスカーフが青い』と思い込んでいるのは、あの初日だけを見た人物しかいないのです。
34巻へ続く
画像:「ガラスの仮面」コミックス33巻より引用
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